楽しむ

射水市下村民俗資料館
■米倉を移築した
 この民俗資料館は、明治初期に建築された館哲二氏(元知事・参議院議員)所有の米倉を移築したものです。
大伴二三彌ステンドグラス記念館
■「光と造形の美の森」
 「ぼくは神明造りのこの簡素な社が大好きなんだ」―。生前、櫛田の杜を訪れた射水市(新湊)出身で日本のステンドグラス作家の草分けである故大伴二三彌氏はよく言っていた。
大ヒイラギ
■樹齢400年の貫禄
 市内には、学術資料としても貴重なヒイラギがあります。
勘兵衛はうす(旧田中家)
■日本建築の技術・意匠を凝らした旧家
(国登録有形文化財)

廻船業、金融業で財を成した旧田中家。
大正から昭和にかけて改築が行われ、現在の姿になりました。

檜総柾材による式台玄関をはじめ、各部屋に多用した銘木や上質の塗り、意匠を凝らした天井や建具、上等な唐紙を使用した襖など軸部材・造作に贅が施された古民家です。
主屋、離れ、北の土蔵及び南の土蔵、庭門の四件が国登録有形文化財です。

漁民義人塚
■世直し義人を祀る
 漁民義人塚にまつられているのは、東西放生津の漁師総代 佐賀野屋久右衛門と四歩市屋四郎兵衛です。
 江戸中期、悪徳商人が漁民を支配し利権を思うままにしていたので、これに不満をもった二人が「バンドリ姿」の漁民400人と共に金沢城下に押しかけ、加賀藩の公事奉行に直訴(バンドリ一揆)に及びました。
串田新遺跡
■縄文時代の貴重な遺跡
 串田新遺跡は、昭和24年に発掘され、昭和51年に国の史跡に指定されました。生活跡(住居群)と墳墓群が、それぞれある範囲内にまとまって存在する遺跡としては、全国的にも貴重なものとして知られています。
小杉展示館
■旧北陸道の街並に残る明治期の銀行跡
 「小杉貯金銀行」の社屋として、明治44(1911)年に新築されました。黒漆喰で塗り上げられた土蔵造りの建物には明治後期の洋風建築が取り入れられています。
小杉丸山遺跡
■飛鳥時代の瓦や須恵器を学ぼう
 射水丘陵の南西部に位置する飛鳥時代後期(7世紀後半)の瓦や須恵器などの製作遺跡です。北陸での瓦葺き建物造営の始まりと,その歴史的背景を具体的に示す貴重な遺跡です。国の史跡に指定されています。
光山寺
■ 大仏と千体佛の寺 / 心と身体の健康寺子屋
 大仏(高さ約5mの丈六阿弥陀如来尊像)と3,000体を超える仏像(千体佛)は、光山寺の土蔵の別堂内に祀られている。
 その大仏は1682年に建立されたもので、幾度の大火災でも奇跡的に難をのがれたものの荒廃し、失われかけようとしていた。しかし、1856年念仏伝道の象徴として、信徒の協力により土蔵の仏堂を再建し安置された。
金胎寺
 護国山 金胎寺は文応元年(1260年)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡国の折、越中に滞在し統治に金剛界・胎蔵界の両曼茶羅を安置して、草創された由緒ある寺です。本堂の天井中央には、周囲に菊華紋をあしらった墨絵の竜眼図が描かれ、行基作の千手観音・不動尊・毘沙門天の三体があります。