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鳥取の里
■白鳥伝説の地
 古事記に「鳥取の里」と記され、歴史書にあらわれた県下最古の地名です。垂仁天皇の皇子(誉津別命・ほむつわけのみこと)のために越の国・和那美の水門(みなと)で鵠(白鳥のこと)をとった白鳥伝説のゆかりの地です。
金胎寺
 護国山 金胎寺は文応元年(1260年)頃、高野山大楽院信顕阿闍梨が北陸巡国の折、越中に滞在し統治に金剛界・胎蔵界の両曼茶羅を安置して、草創された由緒ある寺です。本堂の天井中央には、周囲に菊華紋をあしらった墨絵の竜眼図が描かれ、行基作の千手観音・不動尊・毘沙門天の三体があります。
光山寺
■ 大仏と千体佛の寺 / 心と身体の健康寺子屋
 大仏(高さ約5mの丈六阿弥陀如来尊像)と3,000体を超える仏像(千体佛)は、光山寺の土蔵の別堂内に祀られている。
 その大仏は1682年に建立されたもので、幾度の大火災でも奇跡的に難をのがれたものの荒廃し、失われかけようとしていた。しかし、1856年念仏伝道の象徴として、信徒の協力により土蔵の仏堂を再建し安置された。
射水市下村民俗資料館
■米倉を移築した
 この民俗資料館は、明治初期に建築された館哲二氏(元知事・参議院議員)所有の米倉を移築したものです。
漁民義人塚
■世直し義人を祀る
 漁民義人塚にまつられているのは、東西放生津の漁師総代 佐賀野屋久右衛門と四歩市屋四郎兵衛です。
 江戸中期、悪徳商人が漁民を支配し利権を思うままにしていたので、これに不満をもった二人が「バンドリ姿」の漁民400人と共に金沢城下に押しかけ、加賀藩の公事奉行に直訴(バンドリ一揆)に及びました。
正力・小林記念館
■プロ野球創設とカラーテレビの普及の歴史
 プロ野球の創設と育成、カラーテレビの普及発達に偉大な手腕を発揮した正力松太郎氏と、その後継者で、日本テレビの経営建て直しと読売新聞の発行部数を世界一にした小林與三次氏の収蔵品が100点近く展示されています。
小杉丸山遺跡
■飛鳥時代の瓦や須恵器を学ぼう
 射水丘陵の南西部に位置する飛鳥時代後期(7世紀後半)の瓦や須恵器などの製作遺跡です。北陸での瓦葺き建物造営の始まりと,その歴史的背景を具体的に示す貴重な遺跡です。国の史跡に指定されています。
大伴二三彌ステンドグラス記念館
■「光と造形の美の森」
 「ぼくは神明造りのこの簡素な社が大好きなんだ」―。生前、櫛田の杜を訪れた射水市(新湊)出身で日本のステンドグラス作家の草分けである故大伴二三彌氏はよく言っていた。
蓮王寺
■県下随一の木造丈六阿弥陀如来像
 大宝元年(701年)創建と言われています。
木造大仏は県下随一の丈六阿弥陀如来像で、行基の作と伝えられるものです。また、高岡大仏、庄川大仏と共に越中三大仏と称されています。
10月第2日曜には、人形供養をしていることでも有名で、毎年たくさんの人形やぬいぐるみが供養されています。
福王寺
■空海が開いた寺
 約1100年前に、北陸巡歴に際し空海(弘法大師)が開いたと言われています。
寺には、県指定文化財の仏像が3体あります。まず、杉材の一木造りの等身像の木造不動明王立像、ヒノキ材の一木造りの毘沙門天立像は憤怒の面相や躍動的な姿態から鎌倉期の特徴である剛健さを表しています。阿弥陀如来像の本像は、珍しい来迎形の坐像です。